7月の街頭相談会に続き、今回も好天の大通10丁目を会場に街頭相談会が行われ、SOSネットワーク北海道に参加する団体や個人らスタッフ約140人が集まりました。
今回の相談には51人が訪れ63件の相談がありました。相談の内訳は○生活相談21件−生活保護申請12件、後日申請・その他7件、○住宅相談−一時避難所・賃貸住宅確保10件、救護施設紹介2件、○労働相談9件−賃金1、解雇・労働条件3、仕事ない5、○法律相談12件−債務・ローン5、その他7、○心の相談5、○医療相談7−病気相談6、医療費1 となっています。
今回は栄養士の専門家を責任者に炊き出しを行い、カレーライスを提供しました。高教組会館を借りて前日から準備も行い、当日朝から調理し、米も炊いて持参してもらうなど協力も得て用意しました。路上生活の人や相談に訪れた人、また支援者スタッフなど220食余りを提供し、カレーは全てなくなりました。カレーを作るためのジャガイモなどの野菜の差し入れも多くの人からいただきました。また当日もかぼちゃやとうもろこしなどの差し入れがありました。
募金箱も会場に設置し、46290円が集まりました。通りがかりに入れて行ってくれたサラリーマン風の方や、支援に来てくださった方、相談に来てお礼にと入れてくれた方もいました。通りがかった北大の学生さんは、あしなが学生募金の事務局をしている人で、「自分も経済的に困難な学生の支援活動をしているが、札幌でもこのような派遣村を取り組んでいるとは知らなかった。私たちの活動も知ってほしいし、皆さんにもがんばっていただきたい」と言って、募金を入れていきました。
マスコミの取材も多数来ていましたが、変わったところでは自衛隊員の就職支援をしている人が訪れ、「かつては自衛隊をやめて再就職をするときは結構紹介先もあり何とか支援できたが、最近はそうは行かない。やめていく人に最近の雇用情勢の悪化を説明してもなかなか分かってもらえない。今日は実態がどういうものか見に来てみた」と、小室さんに話されていたそうです。
相談事例から
◆52歳の男性、函館の鉄工所で働いたりパチンコ店店長等をしていました。その後洞爺湖町あたりでに勤めていたが、08年4月に職と住まいを失い、自分の車で生活していました。ペットの子犬と1年半余りの車上生活で、手持ち金のあるうちは何とか食いつないできたが、お金もなくなり最近は1日1食でパンをかじって飢えをしのいでいました。たまたま新聞で17日のSOSネットの相談会を見て、洞爺湖から車で相談会場まで来たそうです。相談の上、賃貸住宅を紹介して生活保護の申請を行いました。
◆33歳の男性はかつて運送会社で働いていたが、職を失い08年12月に苫小牧から札幌に出てきて、24時間営業のスーパーの休憩所で寝泊りをして過ごしていました。7月に西区社保協などがホームレス調査をしたときに、生活と健康を守る会の役員から名刺をもらっていて、それを頼って西区守る会事務所へ行き、お金を貸してもらって相談会場まで来ました。とりあえず一時避難所へ入り、翌日生活保護申請を行うことになりました。
◆52歳の男性は午前中から相談会の様子を見に来ていましたが、午後になって相談に来ました。昨年末まで古紙回収業に住み込みで働いていましたが、仕事もなくなり失業し家も失いました。札幌に親もいましたが、複雑な事情があり頼ることもできず、路上生活をしていました。相談の上、住居を確保し、保護申請を行うことになりました。
◆64歳の男性、40代の頃妻のガン治療のため退職し、退職金を治療費に当てていたそうです。その後知人の借金の保証人となり、結局借金を被ることに。消費者金融などからの借金、年金担保の借金などで返済しようとしていましたが、借金を増えるばかりで、生活できなくなりました。重症ではないが糖尿病と言われているが病院には何年も行っていません。相談に訪れた際には500円しかなく、すぐに保護申請となりました。
◆かつて自衛隊にいた50歳代男性は、同僚にだまされた感じで借金の連帯保証人となり、その借金も背負い、仕事も辞めざるを得なくなりました。退職金で一部を返済したが借金は残りました。その後路上生活もし、現在は生活保護を受けていますが、ずっと残った借金のことで悩んでいたそうです。司法書士が時効制度のことなどを説明しましたが、もっと早く制度の事を聞いていれば何十年も悩まずに済んだかもしれません。
◆日高町から来た29歳の男性、会社が2つの法人を作って業務請負と契約の2重雇用をしていました。時間外賃金は払われないし、有給休暇もあいまい、正社員の話もあいまい、労働条件のことや権利を主張できないなどひどい状態。違法の雇用形態であるため、苫小牧のローカルユニオンを紹介し、組合に入って闘おうということになりました。
◆勤医協のクリニックから紹介されてきた67歳の男性、前日胃痛で病院へ連れて行ってもらい薬をもらったが、この日検査に行ってませんでした。よくよく事情を聞くとお金を持っていず、病院へも行けなかったとのこと。かつては白老で自営業を営んでいたらしいが破綻したようです。札幌へ来て9ヶ月間余りで、お金があるうちはカプセルホテルに泊まっていたが、最近は大通などで路上生活となっていました。住宅を紹介し、翌日保護申請を行い、病院も通院することになりました。
○この日支援に来ていたローカルユニオン「結」のYさん。地下鉄駅出入り口前で相談会を知らせる宣伝に、ハンドマイクで何度も話していました。中学2年生の子どもさんのお母さんです。東京で働いていましたが子供さんの不登校もあり、実家のある札幌へ戻って来ました。コールセンターで働き、賃金の低さとパワハラのひどさにびっくり。相談所へ行ったら労組へ入ったらとアドバイスされ、何ヶ所か訪れてみたが、自分には合わないところが多かったとのこと。7月の街頭相談会で「結」を知り、自分から入れてもらったそうです。現在は仕事も辞め、病気の治療をしながら就職活動中。「結」の新聞で今日の相談会のことを見て、自分にも何かできないか、また人と話もしてみようと思って来たそうです。ハンドマイクで訴えてみて、「結構すっきりした」と話していました。
○看護学生7人が授業が終わってから会場に駆けつけ、小室事務局長、東区守る会の松崎事務局長などから今日の様子を聞きました。ほとんどの人が様々な事例に「衝撃的だった」「想像がつかないようなことでびっくりした」などと話していました。学校に入る前に働いていたことがある女性は、「当時の職場では納得できないことが多くて、このような機会があれば相談したかった」と話していました。SOSネットの夕食交流会(8/25)に手伝いに来てくれた女性は、「ぎりぎりの生活をしているという人がたくさんいることが分かった、生活保護の申請自体も大変だと言うことも分かった」と話していました。男子学生は「相談に来たその日のうちにアパートを借りて助けることができるなど、連携に驚いた」と話していました。
SOSネットワーク北海道は10月早々に総括会議も行い、今後の活動計画を決めることにしています。